【新卒・キャリア】寝技的ねっとり面接
2009年03月10日
ひたすらナゼナニビームを繰り出していた私の面接官時代。
人事担当者としての華麗な技も何もあったものではなく、
まあ言ってみれば、これは
面接においての寝技的手法でした。
つまり、華麗に「一本」を取ることは絶対にないけれども、
絶対に負けないための執着技なわけです。
コツといっても特になく、その人が
どんな風に働いてきたのか、
採用したときにどんな風に働きそうなのか、
ソレがイメージできるまでひたすら聞く、というものです。
というのも、私は面接官をやりはじめた頃、
耳ざわりのいいことを言う応募者に、本当にイヤというほど
騙され続けたので、
もう二度と騙されてなるもんか
という、(応募者にとってみればかなり迷惑な)気合があったのです。
まあ、簡単に言えば強烈に疑いのマナコな面接官でした。
「営業部で1番の成績でした!」と言われれば、
「え、それは何人の中の1番で、なぜ1番になれたんですか」
と聞き、
「私は面倒見のいい性格です!」と言われれば、
「え、それは誰かに言われたんですか?どういう時に?」
と聞き、
「御社でなら私のスキルを活かせると思います!」と言われれば、
「え、そう思う根拠を教えてください」
と聞き、
「御社のファンなんです!何でもいいから働かせて下さい!」と言われれば、
「え、なんで好きなんですか。どこがどう好きなんですか。」
と聞く。
イヤな面接官を通り過ぎて、空気の読めないモテナイ男のようです。
さぞ応募者はウンザリされたことと思います。
でも、このやり方にもひとつだけいいところがありました。
それは、よくよく聞くと意外とやることやってるけど、
自分ではそれをなかなかアピールできない口下手さん
を発掘することが時々あったからです。
たまにいるんです、根堀葉堀聞かれないと、
自分のやってたことを正確にアピールできない人が。
まあ、面接に来てるんだから、ちゃんとアピールしろよ、
とは思いましたけれども、
自分で自分のやってたことの価値に気づいてない人というのは
いるものです。
そして、この芸のないナゼナニビーム手法も、
一応強引ではありますが、理論的な裏づけがあるのです。
それは、いわゆるコンピテンシー的なアレです。
そう、何を隠そう、いわゆるコンピテンシー的な面接手法だったのです。
(次回につづく)
人事担当者としての華麗な技も何もあったものではなく、
まあ言ってみれば、これは
面接においての寝技的手法でした。
つまり、華麗に「一本」を取ることは絶対にないけれども、
絶対に負けないための執着技なわけです。
コツといっても特になく、その人が
どんな風に働いてきたのか、
採用したときにどんな風に働きそうなのか、
ソレがイメージできるまでひたすら聞く、というものです。
というのも、私は面接官をやりはじめた頃、
耳ざわりのいいことを言う応募者に、本当にイヤというほど
騙され続けたので、
もう二度と騙されてなるもんか
という、(応募者にとってみればかなり迷惑な)気合があったのです。
まあ、簡単に言えば強烈に疑いのマナコな面接官でした。
「営業部で1番の成績でした!」と言われれば、
「え、それは何人の中の1番で、なぜ1番になれたんですか」
と聞き、
「私は面倒見のいい性格です!」と言われれば、
「え、それは誰かに言われたんですか?どういう時に?」
と聞き、
「御社でなら私のスキルを活かせると思います!」と言われれば、
「え、そう思う根拠を教えてください」
と聞き、
「御社のファンなんです!何でもいいから働かせて下さい!」と言われれば、
「え、なんで好きなんですか。どこがどう好きなんですか。」
と聞く。
イヤな面接官を通り過ぎて、空気の読めないモテナイ男のようです。
さぞ応募者はウンザリされたことと思います。
でも、このやり方にもひとつだけいいところがありました。
それは、よくよく聞くと意外とやることやってるけど、
自分ではそれをなかなかアピールできない口下手さん
を発掘することが時々あったからです。
たまにいるんです、根堀葉堀聞かれないと、
自分のやってたことを正確にアピールできない人が。
まあ、面接に来てるんだから、ちゃんとアピールしろよ、
とは思いましたけれども、
自分で自分のやってたことの価値に気づいてない人というのは
いるものです。
そして、この芸のないナゼナニビーム手法も、
一応強引ではありますが、理論的な裏づけがあるのです。
それは、いわゆるコンピテンシー的なアレです。
そう、何を隠そう、いわゆるコンピテンシー的な面接手法だったのです。
(次回につづく)
Comment
No title
てか、そのナゼナニで無理やり理論武装してしまってホントのとこが見えないんだろバカじゃないか