【新卒・キャリア】エントリーシートでは一から十まで書かずに結論と理由だけにしとけ

2011年11月30日

こちらの記事は新ブログに引っ越し済みです。


【新卒・キャリア】エントリーシートでは一から十まで書かずに結論と理由だけにしとけ


スポンサーサイト



【キャリア】フリーランスで仕事をしていた時の収入を質問される

2011年11月25日


今日は、コメント欄で質問頂いた内容です。


企業には勤めていませんが、細々と自分の作品を販売しています。
就職活動にあたり、面接でその件についての月の売り上げを聞かれて驚いたのですが、普通の事なのでしょうか?



※非公開コメントで頂いたので、内容をやや変更してあります。



はい、前職が会社員ではなくても、収入のレベルを質問されるのはよくあることだと思います。


理由としては、2つ考えられます。

・単なる好奇心
・どれくらいの能力を持った人なのかを判断するため


前者を前提として考えると、あまりいい気はしないと思います。
通常、誰かに聞かれてもホイホイ教えたりはしませんしね。特に個人事業主としての収入って。


まあしかし、面接の場ですので、面接官が個人的に単なる好奇心として知りたい、という理由はあまり考えられません。多かれ少なかれ、フリーランスにしろ何にしろ、応募者の方の収入をもとに、スキルや市場価値をはかろうとしている意図が前提にあるはずです。


フリーランスで5万円稼いでいる人がそれだけでは食べて行けなくて就職先を探しているのと、100万円稼いでいる人が、でもやっぱり安定した生活が欲しいと就職先を探しているのでは、おのずと仕事に対して求めるものも、その方が提供できるものも違ってくるでしょうし、そこから推察される人物像も異なってきます。



とは言え、そんなに明確に金額を伝えるほどの収入ではなく、年収交渉の材料にするわけでもない場合には、適度にオブラートに包んで伝えてもよいと思います。
「いやー、ハッキリ言って暮らして行けるほどのレベルの収入ではありません。小遣い銭程度です。」とか「企業の新卒くらいの収入はなんとかありますが、なんせ不安定で・・。」とか。


こう答えれば、大抵の面接官は、ここからさらに踏み込んで金額を追求したりはしないはずです。食べて行ける水準なのかどうか、ということがわかりさえすればよかったりするのです。

ただし、どうしてもグイグイ質問してくるときは、面接の場でその内容を質問しなきゃいけないことになってるんだな、と諦めて素直に伝えるのがよいと思います。



【関連記事】

【無職】面接官は無職の気持ちはわからない
【無職】「待遇がいいから」は志望動機として認められない
【キャリア】年収アップをはかるコツ


【新卒】ゆとり世代って甘えてるよなあ、と思う事

2011年11月16日

【新卒】ゆとり世代って不運だよなあ、と思う事
 の続き。

前回の記事の「不運だなあ」という意見は、我ながら感心するくらい華麗に他人事のスタンスでしたが、今日はもう少し踏み込んだ内容です。

ちなみにですが、私は「ゆとり世代」を語れるほどその年代の方々を知りませんし、少なくとも私が知っている「ゆとり世代」は、未熟さはあれど、個性的で才能豊かな人達です。
なので、「世代」でくくることにはあまり大きな意味はないのですが、「最近の若い人たち」っていう括りも何ですし、ここは思いきって十把一絡げにして「ゆとり世代」と呼んでおきます。



ゆとり世代の人たちの特性として、最も特徴的なのは、その「堅実さ」だと思います。
ゆとり世代 = 堅実 という意味ではなく、堅実さ という特徴が少なくとも私の世代よりも際立っている、という意味です。

別に堅実ってことは悪いことではありません。
ですが、このブログで何度か書いているように、長所と短所は裏を返せば同じひとつの特性の現れに過ぎません。

堅実であるという特性は、安定感を必要とされる仕事においては大きな長所ですが、チャレンジ精神を必要とされる仕事においては、むしろ短所として挙げられるかもしれません。


ここでちょっと考えてみて頂きたいのですが、自称「ゆとり世代」で「就職がなかなか決まらない」という状況に置かれている場合、「自分の長所がわからない」とか「安定した事務職につきたい」とか思ってませんでしょうか。


そんな甘えたこと考えてたら、就職が決まるわけがないのです。

何ができるかわからない、できるかどうか自信もない、更に言えば致命的なことに、できるようになるという意気込みもない人を、毎月高い給料払って採用するか、っていう話です。するわけないです。


新卒なんですから、仕事に就いて最初は何もできないのは当たり前です。
今はできないことを、できるようになるために、努力をしたり周りの人に教えを乞うたり、そうやって仕事ってできるようになっていくものだと思うんです。


それなのに、「今できること」「できそうなこと」だけを前提にして、「できそうだから事務職につきたい」なんて、自分に課してるハードルが低すぎやしませんか。
その前提で、もし幸運にも「安定した事務職」に就いたとしても、仕事の95%は「できない」であろうことが保証できます。果たしてその仕事、本当にできるようになるんですか?その仕事をやりたい理由が特別にあるわけでもないのに?


以前、こちらの記事で「自分の長所が思いつかない」のは完璧主義で理想が高いからだ、という内容を書きましたが、あえて逆の事を言っておきたいと思います。


長所が見つからないのは、長所がないからです。
他の人と比べて、自分が何に優れているか、何に劣っているか、何が好きか、何が得意か、何ができないか、考えることを放棄してきたことの結果です。


自分で自分の長所がわからない、ということがわかっているのであれば、まずはそれを見つけることから始めるべきです。
何の価値もない商品を、店の棚からカゴに入れる人はいません。
何の価値も提供できないと言っている人を、採用する企業はありません。

自分に何の価値があるのか、それを考えることを放棄した人に、仕事が見つかるわけないんじゃないでしょうか。



でも、何の価値もない人なんて、まずいないと思うんです。
誰だって、何らかの長所があるし、何らかの短所があります。

自分の長所が何なのか、まずは胸を張って言えるようになって、その上で、その長所が活かせる仕事を望むなら、それなりに就職の道も開けてくるはずです。何かが好き、とか、何かをやりたい、というのも、特徴や志向性という意味では、大きくは長所に入れてもいいと思います。

もちろん、相手も納得できるような長所でなければなりませんし、それがあったとしてもなかなかに厳しい状況ではあるのは確かですが、自分のこともわからずにただやみくもに安定を求めるよりは、ずっと可能性の道が開けてくるはずだと思うのです。



ちょっと久しぶりに偉そうなこと書いちゃったんで恥ずかしいんですけど、でもそう思うんですよ。




【関連記事】

【新卒・キャリア】面接で聞かれる「長所と短所」 (3/3)

【新卒】自分の長所が思いつかない
【新卒】「学生がバカなことが就職難の原因」


【新卒】ゆとり世代って不運だよなあ、と思う事

2011年11月08日
先日、こんなコメントを頂きました。

今は本当にどんな仕事をしたいのかはっきりと決められません。
最近は卒論もやらなければ!と、就職を探すこともしていませんが、やはり早く就職先を決めたいという焦りはあります。

働くということはどういうことなのかとか、その考えは間違っている!など、お叱りの言葉でも構いません!この甘やかされたゆとり世代に助言をいただけたら幸いです。




「この甘やかされたゆとり世代に助言を!」と来ましたか。
いやあ、ハードル高いなあ。

という訳で、ここ数日悩みました。
書いてはボツにし、書いてはボツにしました。
(あ、すみません、本当言うとボツにした記事は1個だけ)

正直言うと、私は20代前半の人々と触れ合って、「ゆとり世代だなあ」と感じたことはありません。
人事の仕事から遠ざかって早数年、新卒採用にも携わっていませんし、今の職場で一緒に仕事をしている新卒さんたちは、なかなかちゃんとした人たちです。


悶々と考えてみた結果、私がいわゆるゆとり世代の人たちに対して思うことは2つあります。

・ゆとり世代って、不運だよなあ
・ゆとり世代って、甘えてるよなあ


というわけで、久しぶりに2回にわけてお送りします。

今日は、ゆとり世代って、不運だよなあ についてです。



ゆとり世代って、具体的には1987年度~1995年度生まれの人達のことを言うらしいです。

ゆとり教育の詳しい内容については理解していないのですが、見たり聞いたりしたことを総合すると、どうやらそれまでの「詰め込み教育」を卒業して「個性重視の教育」へと移行したようです。
徒競走で順位をつけないと揶揄されたアレのことだな、と適当な理解をしております。


個性重視は全くもって悪いことではないと思います。素晴らしいことです。
NO.1にならなくてもいい、もともと特別なONLY1ーー♪ ってやつですね。
そこで重視されたのは、選択の余地なく強要される一律の基準の中での順位ではなく、人が生まれながらにして持っているそれぞれの特性において、短所の穴を埋めるのではなく、長所を伸ばしていこう、という理想だったと思われます。

しつこいようですが、それ自体は非常に素晴らしいことです。


しかし如何せん、ゆとり世代の中でも特に、ここ数年の間に大学を卒業した人たちや卒業を間近に控えている人達にとって不幸だったのは、日本社会がその「ゆとり」を受け入れられるほど余裕がある状況ではなくなったことだと思います。


ここ最近の新卒さんの就職難状態は、2003年までの「就職氷河期」と区別して、「新氷河期」とかなんとか言うらしいです。このブログは2008年から書いているので、スタート時にリーマンショックが発生して翌年の2009年(つまり2010年度入社)から新卒さんの就職活動が非常に厳しくなったことをよく覚えています。


ゆとり世代第一号の人たちが四年制大学を卒業した場合、順当に行って初めて就職戦線に立ったその時、世間はリーマンショックで新卒採用がギュウギュウに絞られている年だったわけです。


それはないわー、と思いますよね。
しかもその前の年までは、そこそこ新卒バブルでしたし。

「ゆとり」「個性」「みんな違ってみんないい」「あなたはあなたの素晴らしい点を伸ばせばいい」と言って学生時代に散々余裕のある生活を送らせておいて、さあいざ社会に羽ばたくぞ、となったその瞬間に、企業からは、

「戦って勝つ。日本が生き残って行くにはそれしかない。我が社ではそのための戦力を採用したい!」と言われたわけですから。



そりゃあまあ、企業側の求める人材像と食い違うのは無理ないわー、と思うわけです。だって、戦って勝つことが目標だなんて、そんな教育されてないわけですから。



いわゆる今のゆとり世代の方々が、仕事に対してアグレッシブな姿勢を取りづらいのは、もちろん教育の影響だけではなくて、数年上の先輩たちが就職氷河期にヒイヒイ言っているのを見ていたから、っていうのもあると思いますけどね。

まあでもしかし、時系列にゆとり教育導入の時期と不景気の時期を見てみると、滑稽というほかないくらい、その時代に求められない教育制度をひいちゃったんだなあ、と思います。


だからこそ、とても人事な視点で書かせて頂くならば(じんじな視点、ではなくて、ひとごとな視点)
ゆとり世代の人たちって、不運だなあ、と思うのです。



まあしかし、「あなたたちって不運ですよね」なんていうのは、単なる同情であって、何の責任も持たない者の感想にすぎません。私はこんなブログを書いていますし、こうしてリクエストをくださる読者の方もいるわけですから、多少なりともそこに責任を感じるべきなのではないかと自らを奮い立たせて、次回は、同情からもう一歩踏み込んだ意見を書いてみる予定です。



(続きはまた次回)

【続き】
【新卒】ゆとり世代って甘えてるよなあ、と思う事



【関連記事】
【無職】「ニートは社会のためにそのまま引きこもっとけや」


 | HOME |